ブータン旅行記4 ~ドチュ・ラ(峠)

今日はティンプーを発って昔の冬の首都プナカを目指す。途中シムトカ・ゾンと呼ばれる、ブータンで最初に出来たゾンの偉容を眺め終われば、道は急激に登り坂と代わり再び曲がりくねる。

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(ホテル出発!)

 少し走れば所々道は拡張工事なのかダートとなってしまう。急峻な崖に道があるにも関わらず路肩も甘いし、崖も剥き出しのままなので、曲がりくねりや高さの怖さに加え崩落事故の危険性も高い。

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(シムトカ・ゾン)

 心配だったので事前に幾つか過去の旅行記を読み耽ったが、やはり雨季には崖崩れも多く、復旧するまで現場待機させられる事もある様だ。

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 ブータンには正直、まともな道は空港があるパロから首都のティンプーまでのみだ。どうしてこんなに道路事情が悪いのだろうか?私は幾つかの後進国を旅してきたが、例えその理由が山国であるにしろ、これ程貧弱だった国は無い。

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 普通の国なら、流通や軍事目的の為、道路は真っ先に整備されているところだが、ブータンは農業の自給自足の生活が基本で、他地域との交流が少なかったので道路整備に緊急性が少なかったのかもしれない。

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(仏像 タシチョ・ゾン)

 それにしても、これ程曲がりくねり、そして補修を繰り返さなければならないのなら、いっそある程度のところはトンネルを掘ってしまった方が早いのではないかとも思うのだが、これもブータンでは山を神聖視しているのでそうした訳にもいかない。此処にも不便であっても、自然をなるべく破壊せずに生きていたいと言うブータン人らしさが浮かんでくる。

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 更に四代目国王の提唱した国民総幸福量の4つの柱のひとつに「環境保全」が唱われている事だ。先進諸国が必要性を訴えながらも、その削減に未だに躊躇し合う中、当時あの段階で国家指針として環境保全を打ち出し、実行に打ち出しているのは驚くべき事だ。

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 水力発電よって生まれた電力をインドに売った収益がブータンの数少ない外貨獲得の手段だ。だから最近の温暖化でヒマラヤの氷河が後退するなど不安要素も隠せない事から、水と樹木伐採には厳しい規制をかけている。水質汚染が考えられる様な工場設置は、経済的アドバンテージがあったにせよ許可されない。

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(仏画 タシチョ・ゾン)

 この様に環境保全に力を注いだのは、お隣の国ネパールの惨状を国王が間近に見、そして反面教師としたであろう事が推測される。ネパールでは王政か、民主化かのゴタゴタが長く続き、時に無政府状態に陥る程であったが、その間も人口は増え続け、山間部の人々は木を切り続け、森林破壊が深刻な状態に陥ってしまった。

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(ツーリストは峠毎にチェックポストでチェックを受ける。)

 森林が破壊されれば山が死ぬ。山が死ねば川も死ぬ。川が死んでしまうと人口の集中するカトマンドゥでは深刻な水不足が発生し、水力発電が機能しなくなり停電が頻発し、下水処理上もダウンする。上下水道とも昨日ダウンしたカトマンドゥの川は、工場の排水も合間ってヘドロと化し、街は赤痢チフス等水により感染する病気が蔓延した。各国から救援隊がかけつけたが、彼等は最初何処から手をつけたら良いか解らなかった程の惨状だったと聞く。

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 彼が環境保全を打ち出した70年代頃は、未だネパールはそれほどの状態だった訳が無く、それを思えばなんて彼は先見の明があるのだろうかと舌を巻く。

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(仏画干支 プナカ・ゾン)

 ガタガタ、グルグルを繰り返す車内で首をグラグラ揺らしながらも、先を見渡そうと思うのなら、これも致し方無しなのかと思う。ブータンの国土の四分の一は保護林であり、農家の作物の殆どがオーガニックだ。その理由が、植物と昆虫の幸せの為だと言う。なんとも殺傷を嫌う仏教国らしい発想だ。が、国民総幸福量の発想と言い、森林保護にオーガニック野菜、やっと時代のニーズがブータンに追い付き、シンクロしつつある。ブータン国民総幸福量だけでは無く、環境保護有機栽培の先進国でもあったのだ。さて、ティンプーとプナカの丁度分岐点のドチュラ峠まであと少しだ。