ブータン旅行記 序章その4
ブータンを旅行するには一日につき200~250ドルの公定料金が必要だ。これには宿泊、ガイド、料理、移動とおおよそ飲み物以外の全ての料金が含まれる。逆に言えば、それらを事前にパッケージする事を求められる。つまりバックパッカーな旅が許されない。それがネックで私も旅が今になった。が、これには先述した国民総幸福量の概念のひとつである「アイデンティティーを大切にする事」の精神が強く込められている、いやその象徴であるとも言える。
(スワヤンブナート ネパール 写真は引用です)
ブータン四代目国王はそれまで多くの弱小国が資本主義を導入し、アジアなら日本に追い付け!をスローガンに頑張ってきた姿を見てきた事だろう。観光産業は後進国にとってはかけがえの無い外貨獲得の手段でもある。しかしその結果が産み出したものはいったい何だろう?四代目国王は、それらの国が資本主義を導入した闇の部分も痛い程眺めて来たに違いない。
(安宿街タメル地区 ネパール 写真は引用です)
四代目国王にとっては身近なネパールが一番の好例だった筈だ。世にヒッピー文化が流行った頃、大勢の旅人がインドからネパールに流入した。そんな彼等に影響されてネパールの若者達は誰も民族衣装を着なくなった。ヒッピーは手に入れやすいインドから麻薬を持ち込んだ。麻薬を買う人間がいれば、そこに麻薬を売る人間が登場する。こうしてカトマンドゥは麻薬に汚染されていった。
(ダルバール広場 ネパール 写真は引用です)
20年前、私もインドからカトマンドゥを目指した。勿論麻薬目的では無い。ただ、インドの食生活にやられ、と言うかインドの洗礼を受けて酷い下痢状態で、それを治療すべく購入した安薬にあたってしまい吐血して、私のカトマンドゥ滞在専ら治療と回復に費やされた。
(ボダナート ネパール 写真は引用です)
しかしながら20年前のカトマンドゥはそれに最適な環境でもあった。インドより日本人的な顔立ちの人々、日本人に適した気候。決して麻薬なんか無くても沈没してしまいたくなる街だった。
(パシュパティナート ネパール 写真は引用です)
そんなカトマンドゥで毎日通った安定食屋があった。私専用に粥を作ってくれたからだ。そこで毎日顔を会わせる少年ウェイターと何気ない会話を楽しんでいた。彼は聞いた。
「なんで日本人は髪が長いの?」
当時のバックパッカーは何故かロン毛が流行っていた。私は応えた。
「髪切る金があったら旅に使いたいんだよ。」
それは紛れも無い本心だった。だけどその後が迂闊だった。
「俺等さ貧乏旅行だから。」
少年の顔がみるみる雲って、目には涙がいっぱいだった。
「嘘!嘘だよ!だって高い航空券払って此処まで来れたんだから!僕なんて、一生働いても此処から出れやしない!」
金槌で頭叩かれた気がした。全く彼の言う通りだ。我々は貨幣価値の全く違う次元から現れたエイリアンに過ぎないと言う事を痛感させられた。
(マリ)
旅人達は最初こそ気にせずに金をばらまくが、そのうちその国の物価を知ると賢くなって太刀打ちしだす。1ドルだって見逃さずに。
(マリ)
でもそんな太刀打ちをコロリとかわしてしまう者がいる。子供達だ。「絵はがき1ドル買って!」と、その国では絶対1ドルなんかしない絵はがきを。でも人はワンコインには弱い生き物。子供の笑顔には更に弱いのが人間と言うもの。さっき必死に値切った1ドルを子供達には簡単に手渡してしまう。これで子供の笑顔を写真に納められれば安いものだと。
(イエメン)
でも、大の大人が必死になって稼ぐ1ドルを、子供があっさり稼げてしまう世の中ってどうだろう?一日働けばもしかすると親父の収入を上回ってしまう。そうすると親父は一家の大黒柱としての権限を失う。子供は明日も頼んだぞって事になりかねまい。
(イエメン)
旅人が笑顔の為に払ったその1ドルが、その国の子供の教育の機会を奪っているとしたら、その1ドルが現地の家族を崩壊させているとしたら、それは残酷な事とは言えまいか?更にそうして育った子供達はどんな大人になるだろう?強かに旅人に忍び寄っては暴利を漁る…そんな輩は我々旅人自身が育て上げてしまった輩なのかもしれない。
(ウズベキスタン)
旅をしていて、たった1ドルでもボラれてたまるかと戦ってしまう自分をみっともないと思う反面、現地の人から見れば、その1ドルでさえ、されど1ドルなんだと考えれば、たった1ドルと思ってしまった自分をおぞましくも思う。旅人が落とした何気無い1ドルが、その国の心を汚していく。
(ウズベキスタン)
こうして貨幣価値の違い過ぎる国が外貨獲得の為とは言え、全く制限を儲けずに旅人を受け入れれば、その闇の部分も受け入れざる得なくなる。第二次大戦後、子供達が米兵に「ギブミー・チューイングガム!」と媚びる姿を、唇を噛み締め眺めるしかなかった日本の親達もいただろう。貧しい国々の子供達が、教育の機会も奪われ、売り子として立たされている現状を眺め、国王は「絶対に我が国ではそんな事させない!」と心に誓ったのかもしれない。
(パキスタン)
だからかの四代目国王はこう考えたに違いない。旅人には公定料金と言う少々高め料金を頂き、旅の全てをアレンジした上で、安全に且つストレスフリーに旅をして貰う。そして公定料金から実際使われた差額分は、ブータンの国民に平等に分配される。そして旅人がもたらしてしまう貨幣価値の違いが生む闇から国民を守らせて頂くと。
(パキスタン)
彼が命を賭けてまで守りたかった国家のアイデンティティー。そう考えたなら、ちょっと出費は痛かったけど、この出費も、この考え方も良い方法だったのでは無いかと思える。
(パキスタン)
国民総幸福量…それは弱小国の負け惜しみ等では無く、弱小国ブータンが、ブータンらしさを保ちながら、資本主義を自国に軟着陸させる為に取った、GDP至上主義の逆説的手法であったのだ。さてではそんなブータンは実際幸せな国なのか?国民は幸せを感じているのか?お待たせしました。次回ブータンに向けて出発します。
(スワヤンブナート ネパール 写真は引用です)
ブータン四代目国王はそれまで多くの弱小国が資本主義を導入し、アジアなら日本に追い付け!をスローガンに頑張ってきた姿を見てきた事だろう。観光産業は後進国にとってはかけがえの無い外貨獲得の手段でもある。しかしその結果が産み出したものはいったい何だろう?四代目国王は、それらの国が資本主義を導入した闇の部分も痛い程眺めて来たに違いない。
(安宿街タメル地区 ネパール 写真は引用です)
四代目国王にとっては身近なネパールが一番の好例だった筈だ。世にヒッピー文化が流行った頃、大勢の旅人がインドからネパールに流入した。そんな彼等に影響されてネパールの若者達は誰も民族衣装を着なくなった。ヒッピーは手に入れやすいインドから麻薬を持ち込んだ。麻薬を買う人間がいれば、そこに麻薬を売る人間が登場する。こうしてカトマンドゥは麻薬に汚染されていった。
(ダルバール広場 ネパール 写真は引用です)
20年前、私もインドからカトマンドゥを目指した。勿論麻薬目的では無い。ただ、インドの食生活にやられ、と言うかインドの洗礼を受けて酷い下痢状態で、それを治療すべく購入した安薬にあたってしまい吐血して、私のカトマンドゥ滞在専ら治療と回復に費やされた。
(ボダナート ネパール 写真は引用です)
しかしながら20年前のカトマンドゥはそれに最適な環境でもあった。インドより日本人的な顔立ちの人々、日本人に適した気候。決して麻薬なんか無くても沈没してしまいたくなる街だった。
(パシュパティナート ネパール 写真は引用です)
そんなカトマンドゥで毎日通った安定食屋があった。私専用に粥を作ってくれたからだ。そこで毎日顔を会わせる少年ウェイターと何気ない会話を楽しんでいた。彼は聞いた。
「なんで日本人は髪が長いの?」
当時のバックパッカーは何故かロン毛が流行っていた。私は応えた。
「髪切る金があったら旅に使いたいんだよ。」
それは紛れも無い本心だった。だけどその後が迂闊だった。
「俺等さ貧乏旅行だから。」
少年の顔がみるみる雲って、目には涙がいっぱいだった。
「嘘!嘘だよ!だって高い航空券払って此処まで来れたんだから!僕なんて、一生働いても此処から出れやしない!」
金槌で頭叩かれた気がした。全く彼の言う通りだ。我々は貨幣価値の全く違う次元から現れたエイリアンに過ぎないと言う事を痛感させられた。
(マリ)
旅人達は最初こそ気にせずに金をばらまくが、そのうちその国の物価を知ると賢くなって太刀打ちしだす。1ドルだって見逃さずに。
(マリ)
でもそんな太刀打ちをコロリとかわしてしまう者がいる。子供達だ。「絵はがき1ドル買って!」と、その国では絶対1ドルなんかしない絵はがきを。でも人はワンコインには弱い生き物。子供の笑顔には更に弱いのが人間と言うもの。さっき必死に値切った1ドルを子供達には簡単に手渡してしまう。これで子供の笑顔を写真に納められれば安いものだと。
(イエメン)
でも、大の大人が必死になって稼ぐ1ドルを、子供があっさり稼げてしまう世の中ってどうだろう?一日働けばもしかすると親父の収入を上回ってしまう。そうすると親父は一家の大黒柱としての権限を失う。子供は明日も頼んだぞって事になりかねまい。
(イエメン)
旅人が笑顔の為に払ったその1ドルが、その国の子供の教育の機会を奪っているとしたら、その1ドルが現地の家族を崩壊させているとしたら、それは残酷な事とは言えまいか?更にそうして育った子供達はどんな大人になるだろう?強かに旅人に忍び寄っては暴利を漁る…そんな輩は我々旅人自身が育て上げてしまった輩なのかもしれない。
(ウズベキスタン)
旅をしていて、たった1ドルでもボラれてたまるかと戦ってしまう自分をみっともないと思う反面、現地の人から見れば、その1ドルでさえ、されど1ドルなんだと考えれば、たった1ドルと思ってしまった自分をおぞましくも思う。旅人が落とした何気無い1ドルが、その国の心を汚していく。
(ウズベキスタン)
こうして貨幣価値の違い過ぎる国が外貨獲得の為とは言え、全く制限を儲けずに旅人を受け入れれば、その闇の部分も受け入れざる得なくなる。第二次大戦後、子供達が米兵に「ギブミー・チューイングガム!」と媚びる姿を、唇を噛み締め眺めるしかなかった日本の親達もいただろう。貧しい国々の子供達が、教育の機会も奪われ、売り子として立たされている現状を眺め、国王は「絶対に我が国ではそんな事させない!」と心に誓ったのかもしれない。
(パキスタン)
だからかの四代目国王はこう考えたに違いない。旅人には公定料金と言う少々高め料金を頂き、旅の全てをアレンジした上で、安全に且つストレスフリーに旅をして貰う。そして公定料金から実際使われた差額分は、ブータンの国民に平等に分配される。そして旅人がもたらしてしまう貨幣価値の違いが生む闇から国民を守らせて頂くと。
(パキスタン)
彼が命を賭けてまで守りたかった国家のアイデンティティー。そう考えたなら、ちょっと出費は痛かったけど、この出費も、この考え方も良い方法だったのでは無いかと思える。
(パキスタン)
国民総幸福量…それは弱小国の負け惜しみ等では無く、弱小国ブータンが、ブータンらしさを保ちながら、資本主義を自国に軟着陸させる為に取った、GDP至上主義の逆説的手法であったのだ。さてではそんなブータンは実際幸せな国なのか?国民は幸せを感じているのか?お待たせしました。次回ブータンに向けて出発します。