銀河鉄道999

 今回は、私の旅人生に大きく影響を与えたアニメを紹介したいと思う。松本零士氏の銀河鉄道999だ。

 未来の宇宙、人類は機械の体を手に入れ永遠の命を手に入れた。一方貧しい人間は機械の体を買う事が出来ず、機械化人間から差別を受けながら生きてかねばならなかった。主人公鉄郎もそんな家庭に生まれ貧しいながらも優しい母親と暮らしていたが、機械伯爵の生身の人間狩りに遭い母親を殺されてしまう。

 自分も必ず機械の体と永遠の命を手に入れ機械伯爵への復讐を誓う鉄郎。そんな鉄郎の前に母親と瓜二つの女性メーテルが現れた。彼女は鉄郎に機械の体を手に入れられるアンドロメダへと向かう銀河鉄道のパスを与え、二人で旅する事になった。


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 機械の体を手に入れるべく旅立った鉄郎だったが、旅の途中訪れた星々で出逢った、貧しくとも健気に、そして逞しく生きる、限りある命の生身の人間の生き方に触れ、機械の体を手に入れるかどうかを悩む事となる。

 そうして辿り着いたアンドロメダ。鉄郎に与えられる機械の体とは、一本のビスになる事だった。そしてメーテルの役割とは、メーテルの母、機械化帝国の女王プロメシュームの指示の下、機械化帝国を支えるビスとなるべく、強靭な意思を持った少年を探す事だった。母の復讐を固く誓い、機械の体を求める鉄郎は格好の人材だったのだ。

 メーテルのこれまでの優しさに感謝しつつも鉄郎はキッパリとビスになる事を拒絶し、限りある命であっても自らの意思で生きていく事を選択する。

 この物語に登場する機械化人間と生身の人間は、現実の社会の貧富の差を表現しており、星を国に例えるとすれば、先進国と発展途上国と言ったところだ。

 私が未だバックパッカーを始めた頃。私は日本と言う先進国から訪れた上から目線で発展途上国を旅していた。しかし日本から比べると驚く程遅れていると感じたそれらの国々で出逢った人々のひたむきな生き方に触れるに連れ、本当の豊かさとは物質や金とは違う部分にあるのではないか?と感じる様になっていった。それはまるで999で鉄郎が貧しいけど、逞しく生きる生身の人間の人々の生きる星を訪れ、変わっていった。その行程を自分がなぞっているかの様に思えた。

鉄郎
「機械人間を見てると永遠に生きるだけが幸せではない。限りある命だから人は一生という時間の中で、精一杯がんばる。短い時間の中で何かをやり遂げようとする。そうだから、おたがい思いやりや優しさがうまれるんだ」

 とある機会に作者自身がアジアやアフリカを旅した経験がこの作品に大きく投影されていると語っている事を知り、全ての謎が解けた気がした。


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 物語も大詰めで、待望の機械化の体はビスだと知って絶望する鉄郎。これも学生から社会へと飛び出した若者が一度は感じる事ではなかろうか?私も大学まで卒業させて貰い、新卒で就職が叶ったと言うのに、このまま働くと言うのはまるで社会のビスの様だと感じてしまい、自分の赴くままに旅を選んでしまった人間なので、このビスの例えは非常に良く解る。

 親と言うものは子供には苦労させたく無いと、より良い学校に通わせ、より良い会社に勤めさせ、順風万歩に生きて貰いたいと願うのだろう。しかし子供は成長するに連れ自立心が芽生え、親の親切を振り払ってまで冒険を望む。

 メーテルは鉄郎の殺された母親と瓜二つと言う設定からも、メーテルは母親の象徴である。そのメーテルがレール(銀河鉄道)の上をひたすら鉄郎を庇護しながら、優秀なビス(エリート)になるべく育て上げた。しかし鉄郎は荒波覚悟で自分の意思で生きていく道を選ぶ。999は母親からの巣立ちを描いた物語とも言える。私も母親とは色々あった。そうした部分からも忘れられない物語だ。


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メーテル「私は、あなたの思い出の中にだけいる女。私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」

今 万感の想いを込めて 汽笛が鳴る
今 万感の思いを乗せて 汽車が行く
ひとつの旅は終わり また新しい旅立ちがはじまる
さらばメーテル
さらば銀河鉄道999
さらば少年の日よ