2007ジョグジャカルタ旅行記最終回

 古都ジョグジャカルタの目抜通りはジャラン・マリオボロと呼ぶ。ジャランとは「通り」の意味で繰り返してジャラン・ジャランと言えば「散歩」と言う意味になる。

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(ジャラン・マリオボロ)
 そんなジャラン・マリオボロを王宮までジャラン・ジャランした。途中何度か「現地人にガイドしてやる。」と言い寄られるが「ジャラン・ジャランしてるだけだから」とやんわりと断れば、いつしか世間話に話が弾む。そんな緩い東南アジアの雰囲気が楽しめるジャラン・ジャランが私は大好きだ。

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 王宮に到着。ボロブドールと共にこの地から仏教は姿を消し、それに継いで栄えたヒンズー教インドネシアではバリ島にその文化が残るのみ。今や世界で有数のイスラーム教徒の住む大地となった。勿論此処の王宮もイスラームの王・スルタンの王宮だ。しかし偶像崇拝禁止の筈のイスラームであるに関わらず王宮の前にはセウ寺院にも鎮座していたクベラ像が立ちはだかる。そんな東南アジアの寛容さが私は好きだ。

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(クペラ像)
 王宮には様々な調度品が並べられるが、一番の目的は日曜午後に開催される民族舞踏のお披露目だ。インドネシアの国民的楽器ガムランの独特の響きは、独特の甘味ある金属音を持っていて、茹だる様な暑さも相まって、聞く人にある種の催眠作用を催し蕩けさせる。それに輪をかける様にきらびやかな衣装を纏い、しなやかな動きで舞う美女の躍りが私を夢見心地に陥れる。

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(インドネシア等東南アジアの舞踏は指先の動きが重要な意味を持つ)
 そんな蕩けた気分のまま、水の離宮タマン・サリに向かった。タマン・サリは水の離宮と呼ばれるだけにプールが設けられ、そこで宮女が水遊びをしたと言う。それをスルタンが上の部屋から見定めて、気に入った宮女と奥のプールで戯れたと言う。

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 生憎手前のプールには水が蓄えられていなかったが、奥の王のプールには満ち満ちと水が溢れ、その水音と先程のガムランの音色が共になって脳裏で反響した。近くで女性達のはしゃぐ声がする!頭の中は未だ茹だる様な暑さとガムランの効果で蕩けたままだ。宮女は何処に?

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 …まるで南国の強烈な日差しの下の白日夢。見回せば、なぁんだ!地元の女子高生達じゃないか!

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 タマン・サリの西に立派な門がある。メッカの方角を向いている事でイスラームへの信仰を表し、門の両側に設えた羽はガルーダを意味し、嘗てこの地に根差したヒンズーを、門の装飾された蓮の花は仏教を表し三つの宗教、ひいては世界の平和を願っていると言う。寛容なる東南アジアならではの門である。

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 タマン・サリの見学を終え、私はスルタンが瞑想に使ったと言う最早廃墟に近い遺跡へと向かった。その入り口直前で、先程の女子高生が、男子高生と共にはしゃぎながら歩いているのを見つけた。その内一人が遺跡の低い入り口にシコタマ頭を強打し悶絶した。

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(遺跡から眺めたジョグジャカルタ)
 そのリアクションに思わず大爆笑の私。あっと!目が合って大慌て。怒らせたかな?と思いきや、向こうも私が爆笑しているのを見て大爆笑。そんなきっかけで彼等、彼女等とのジャラン・ジャランが始まった。やっぱり東南アジアの緩さは大好きだ!

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(ガスン市場)
 そんな緩さに身を任せ、私の時間概念も緩んでいた。時計を見て大慌て!そろそろ帰らなきゃ!我思う。旅人はいつだってシンデレラだ!