2007ジョグジャカルタ旅行記3

 白タクの運チャンにプランバナン寺院群を見学しつつボロブドゥールまで向かって貰う事にして、先ずプランバナン寺院群を巡る。

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(サンピ・サリ寺院)
 先ずは小さな寺院群から巡った。サンピ・サリ寺院のみはハッキリとその形状、奉られている御神体からヒンズー寺院である事が明確だが、それ以降訪れたプラオサン寺院、カラサン寺院、サリ寺院、セウ寺院とも仏教ともヒンズーともハッキリしない。外観はヒンズー寺院的であるけれど、菩薩像が彫られていたりする。

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(カラサン寺院)
 これらの寺院は正確には仏教寺院にあたるそうだ。どうしてヒンズー教の王朝が築いたプランバナンの周囲に仏教遺跡があるかと言えば、当時プランバナンを築いた王朝は、ボロブドゥールを築いた仏教王朝であるシャイレンドラ王朝の影響下にあった。なので仏教寺院を建立してシャイレンドラ王朝に寄進したり、政略結婚で嫁いできたシャイレンドラ王朝の后の為に仏教寺院を建立したと言う。

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(サリ寺院)
 元々ヒンズー教と仏教は同じインド生まれの宗教。インドでは仏教が衰退し、それ以降インドでは釈迦は多神教であるヒンズー教の一人の神として習合されていった。東南アジアでは仏教とヒンズー教は密接な関係を保ちながら、お互いに影響を与え合いながら、まるで追いかけっこでもしているかの様に伝播していった。

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(セウ寺院)
 カンボジアアンコール・ワットでは王朝の世代によりヒンズー信仰と仏教信仰が移り変わったし、ミャンマーバガン等東南アジア全体にヒンズー信仰と仏教信仰の跡を残す遺跡が折り重なる様に残されている。此処でも同じ時代にそれぞれの信仰を持った王朝が並び建った。

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(プラオサン寺院)
 仏教とヒンズー教の最大の違いは、身分制(カースト)を肯定するかしないかと言う事。ぶっちゃけて言えば、そもそも仏教はカースト制度の否定から生まれた宗教。この二つの宗教が伝わった東南アジアの各王朝が、どちらの宗教を選んだかは、その当時の王の趣向も大きいだろうが、二つの宗教の大きな違い(身分制を肯定するかしないか)により、其々の宗教の支持層は大きく異なったであろうから、其々の王朝が、どの支持層を取り込もうとしたかにより、その王朝が取り入れた宗教が異なったとも推測出来る。

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 しかしながら同じ故郷から発した二つの宗教遺跡が同時期に並立して健造された事からか、二つの遺跡群は東南アジアの至る場所で、まるで兄弟の様な調和を持って今日にその姿を残している。