2007チベット旅行記6

 遂に念願の朝がやって来た。ポタラ宮のチケットを握り締めてゲートまで登る。高度の高いラサの一際高い丘の上に聳える宮殿。登るだけでも息切れが起きる。やっとの事で登りきった。しかし待てど暮らせど彼女は来なかった。プレミアムと呼ばれる宮殿のチケットを朝イチから並んで手に入れて来ないと言うのは…連れである日本の学生の高山病の状態がよっぽど深刻なものだったのであろう。残念だが独りで向かうしかない。

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(ポタラ宮入り口)
 宮殿内部は残念ながら撮影禁止でしかも制限時間さえある。紅白に別れた宮殿は白の部分は俗の部分、即ちダライ・ラマが政治を司ったスペース。紅の部分は宗教的な儀礼を行う聖なる部分。宮殿を作ったダライ・ラマ5世の霊塔も内部に納められてる。

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(階段を登るだけで息が上がる)
 壮大な内部は日本の仏教感とは大きくかけ離れており、今まで訪れた大乗仏教とも上部座仏教とも違う独特の世界観を持っていたが、仏教が釈迦の所縁の地でもあるネパールからヒマラヤを渡り、此処に辿り着いたとするなら、もしかすると仏教の一番原始的姿を残しているのが此処なのかもしれない。

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(白宮入り口)
 宮殿の見学を終えると宮殿の背後に出る。日本の情報紙等では殆ど正面からの宮殿しか見ることが出来ないが、裏ポタラも実に美しい。

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(ポタラ宮からの眺め)
 ラサには重要な三つの巡礼路がある。一つはこれから向かうチベット仏教で一番重要な寺院、大昭寺の内部を回るナンコル、大昭寺の周囲の道を回るバルコル、そして更に外周の道を回るリンコル。ポタラ宮はそのリンコルの通り道沿いに位置し、巡礼の多くのチベット人が訪れる。

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(裏ポタラ宮)
 巡礼の方法は先ず必ず右回りであると言う事。この習慣は遠く日本にも伝わり、四国巡礼と言う大規模な右回りが存在する。巡礼者はマニ車と呼ばれるものを回しながら巡礼する。これには手持ちのタイプと備え付けのタイプがあり、これを回す事でお経を唱えるのと同じ効果を示すとされる。

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(マニ車)
 礼拝対象を前にすると彼等は五体投地と言われる独特の礼拝を行う。手を合わせ拝むとひざまづき、合わせた手を前方に大きく差し出し地面にうつ伏せる。これを何度も繰り返し祈りを捧げるのである。

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(旧市街のチベット建築)
 ポタラ宮を後にしてポタラ宮より東に広がるラサ旧市街即ちチベット族地区に向かった。真っ先に向かったのはチベット族の食堂。先日食べられなかったカレーを注文した。ウエイトレスのチベット族の女の子は

「メニューには無いんだけど…大丈夫!出来るは!」

 と嬉しそうに言い残した。私が数あるチベット料理の中でカレーを注文したか?ただ単に私の大好物がカレーだった事もあるが、カレーと言えばヒマラヤの向こうのインドやネパール等が本場。仏教も其処で生まれた。チベット仏教同様ヒマラヤを越えて伝わったチベットのカレーが食べてみたかったのだ。

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(食堂から大昭寺を眺める)
 しかし、後日調べれば、チベットにカレーを持ち込んだのは、インドを追われたイスラーム教徒だと言う。こんな場面の文化の橋渡しにもイスラームが関わっていた事に新鮮な感動を覚えた。そしてその味は以前お世話になったネパールの懐かしい味がほんのりと残されている様な気がした。