2007チベット旅行記5
ポタラ宮の明日のチケットを入手したら早速ラサ市街の散策を開始、明日ポタラ宮と旧市街散策を組み合わせ、本日は郊外に点在するセラ寺とデプン寺を散策する事にした。そこへは乗り合いバスで向かう。
(セラ寺)
街の大きな辻には大抵日本で言うハイエースの様なワンボックスが屯している。中からは子供達が行き先を連呼している。親父が運転手、子供が車掌と呼び込みを兼ねている。皆ライバルに負けじとあらんかぎりの声で叫んでいる。
(セラ寺)
二つの寺は寺と言っても日本のそれとは大きく異なる。僧院と訳す方が適切かもしれない。若い僧侶達が修業を積みながら其処で生活している。だから寺と言うより一つの独立した村落の趣さえ感じる。
(デプン寺)
セラ寺は問答修行と呼ばれる、若い僧侶が様々な仏問答を答弁して行う修行が有名で、日本の僧侶も此処で修行を積んだ寺。デプン寺はポタラ宮が完成する前はダライ・ラマが住んでいた事もある壮大な規模の寺院だ。どちらもラサを見下ろせる山の斜面に築かれている。
(チベットのシンボルマーク)
どちらの寺院だったろうか?私が坂を登っているとチベットの子供達が坂の上まで競争しようと言う。此処で引いては日本男児が廃ると言うもの、子供相手に本気を出してはと舐めてかかっていると、あっという間に引き離されてしまうばかりか、息が上がって体が全く言うことを聞いてくれない。
(デプン寺)
結局圧倒的に引き離されて私の負け。此処は空気の薄い高山。彼等は其処で日常を送る子供達。私が勝てる筈も無いことを彼等も良く知っている。どや顔で微笑む彼等を見送って、昨日ガイドに買って貰った携帯酸素を思いっきり吸入した。
(岩に描かれた仏画 デプン寺)
僧院の内部は世界で此処だけでしか見られない、唯一の文化で埋め尽くされていた。急激な速度で中国化されつつあるラサと違い、僧院の内部だけはチベット一色の世界が残されていた。
(デプン寺の僧院)
独特の世界観の寺院の周囲には無数の僧房が建ち並ぶが、独特の造りのチベット建築はアジアと言うよりヨーロッパの何処かの田舎を散策している気分になるが、その脇から蝦茶の僧衣を纏った少年僧と出くわし、此処がチベットだった事を思い出す。
(デプン寺の僧院)
そんな村落の様な規模の僧院を散策しているうちに、私は用を足したくなってしまったのだが要領を得ない。そこで歩いていた少年僧にトイレの場所を尋ねてみた。
(デプン寺)
思っていた通り英語は通じない。中国語でトイレを意味する厠と言う字を書いてみたがこれも全く通じない。私はちょっと嬉しくなってガイドブックを開くとチベット語のトイレを指差した。
(デプン寺)
漸く彼は合点してくれて、はにかみながら私を目的地まで案内してくれた。私が嬉しく感じたのは、彼がチベット語しか理解しなかったから。此処はチベットなのである。中国語も英語も必要無い。言語と言うものは、その民族にとって拠り所となる非常に大切なものだ。過去に言語を失い、民族としてのアイデンティティを失い、歴史上から消えていった民族がどれだけいた事か。
(デプン寺からラサ市街を臨む)
言語、それは決して失ってはならないものなのである。