2007チベット旅行記2

 前回述べた様な理由から、中国政府はチベットへの立ち入りを大きく制限している。普通日本人は15日迄の観光滞在ならノーヴィザで中国に入国出来るが、チベットに入る場合のみ日数に関わらずヴィザが必要な上、入域許可証の申請が必要となる。更にはツアー参加が必須となるが、私は特殊な会社で手配した為、形式的にはツアーであっても、参加者は私一人、勿論ガイドも無し、フリーツアーの様に気ままに動ける私好みのタイプを選べた。唯一の心配はプレミアムチケットと呼ばれ入手困難と言われるポタラ宮のチケットを自ら入手せねばならぬ事だった。

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(ラサへ続く道)
 中国、広州で乗り継ぎ、シャングリ・ラ経由して私を乗せた飛行機はチベット、ラサに到着した。空港から市街まで約100キロ、成田を抜かせば海外では篦棒に遠い位置に位置する空港だ。それも中国政府がチベット族の動向に非常にナーバスになっている現れだろう。しかしそんな長い道程も雄大チベットの風景に目を奪われているうちに、あっという間にラサのホテルに到着してしまった。私は今回中国系の旅行会社で手配したので、ホテルは中国人が暮らす新市街、解ってはいたが、中国人がラサに新たに築いた新市街には、全くチベットの雰囲気が無く、まるで中国の地方都市に訪れてしまったかの様な光景だった。改めてチベットに進出する漢民族の勢いを見せつけられた想いだった。

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(新市街にやっと見つけたチベットらしい一画)
 到着するや、早速心配事だったポタラ宮のチケットの情報収集に走るが、ホテルのフロントではガイドも無しに、事前に手配もせずチケット入手は困難だと言う。街に出て現地の旅行会社を数件回っても答は芳しく無い。最悪ダフ屋から篦棒な値段で買う事も出来るが、それは最期の手段だ。

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 正攻法で行くなら、行きたい日の前日に予約券を並んでゲットする事だが、ダフ屋もツアーガイドも、それに並んでゲットするので、事情を知った猛者達に打ち勝ってゲットする必要がある。滞在期間が限られているので、ワンチャンス、明日朝逃したらポタラ宮を目前に指をくわえて帰国するしか無い。なんか俄然燃えて来た。

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 さて明日の事ばかり憂いていても時間が勿体ないので、新市街から一番近い見所、ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカを訪れた。今となっては共産圏特有の愛想の欠片も無い中国が築いた新市街に取り囲まれてしまったが、此処はダライ・ラマの夏の離宮だ。独特のチベット建築と庭園を堪能した。

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 しかしこの離宮や最大の見所ポタラ宮を拝観するに当たって心しておかねばならない事がある。これらは世界遺産に認定された素晴らしい建築である事は間違い無い。しかしこれらは遺産では無い。ダライ・ラマが亡命せざる得ない状況下、ダライ・ラマがいない事を良い事に、勝手に中国政府がこれらを博物館として観光の目玉にしてしまっていると言う事を。

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 想像して欲しい。第二次世界大戦に敗北し、日本にアメリカが進駐した時、もしアメリカが天皇制を否定し、命の危険から天皇が他国へ亡命せざる得なかったとして、アメリカが皇居を博物館として観光客に公開したら、日本国民として、どう言う感情を抱くだろう?今私はそうしたものを見に行こうとしている事を胸に刻まなければならない。