07年チベット旅行記1

 私は時に自分は死神なのか?と嘆きたくなる事がある。私が訪れた国々が私の訪問後に相次いで不幸な事が起こるからだ。08年ムンバイでは訪問直後二週間後に大規模なテロが発生した。09年にシリアを訪れれば翌年中東の春と共にシリア情勢は混迷を極め、11年暮れにマリを訪れれば翌年春に同国でクーデターが発生、国の北半分は過激派が建国を表明、現在も先が見えない情勢が続いている。

勿論自分が死神だなんて打ち消したい。私は常に自分が訪れた事の無い国を目指して旅して来た。やがて目的地の中に情勢の定まらぬ国がその対象に上がってくる。

情勢の定まらぬ国々は一端崩れてしまえば、次いつ旅出来るか見通しの立たない場合が多い。だから、それなりに情報を掻き集め、緊急性が高い国から旅を続けた。ギリギリのタイミングだったのはその結果に過ぎない。鋭い嗅覚は持参していたと思う。しかし全ては旅の神様が微笑んでくれたからに違いない。

07年に訪れたチベットも、08年3月に起きた騒乱を前にしてギリギリのタイミングとなった旅だった。チベットは古くは吐蕃と呼ばれた独立国であり、中国とは民族的にも言語的にも宗教的にも全く別の国であるが、現在中国の領土に強制的に組み込まれ、王であるダライ・ラマ14世は亡命をせざる得ない状況に置かれている。

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現在中国はチベット漢民族を次々と移住させ実質的な支配を進めている。そうした行動はイスラエルによるユダヤ人の違法な大量の移住により、パレスティナから実質的な支配を奪い取る行為と共通しており、強い者が弱者から強制的に土地を奪う時に屡々見られる悪行である。

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07年にはチベットの首都ラサに青蔵鉄道が開通し、08年に行われる北京オリンピックを前にしてナショナリズムの風潮が強まる中国に於いて、チベットへの進出により拍車がかかる事が予想された。これに対してチベット族の反発も当然予測される。私の胸はソワソワと高まった。チベットらしいチベットの姿は今見ておかねば、もう見れなくなるかもしれない。今行かねば…

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しかし07年、私は細かい弾丸の旅を重ね、資金的にも休日的にもギリギリのタイミングだった。行き先をラサに絞りギリギリの日程でチベットに旅立った。