パキスタン旅行記7ハラッパー遺跡1

 今日はラホールを離れて南に200キロ程走った場所にある世界4大文明の一つインダス文明の遺跡ハラッパーを訪れる。街を出る時工事中もあって大渋滞に巻き込まれたが、それを抜けると畑が広がる長閑な光景を眺めながらの旅になる。道中何度もパキスタン独特のデコトラックを追い抜きながら走る。子供の様に毎度振り返りそれを見送った。

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 渋滞もあって予定より押していたので途中の食堂で昼飯を食べた。此処でもデコトラックが数台泊まっており写真を撮らせて貰っていると「おい!俺らも撮せよ!」ってドライバーが寄ってくる。デコトラは日本と同じく長距離を共にする相方だから派手に飾り付けるのだそうだが、日本のそれよりかなり派手だ。これではギャルのデコ携帯も泣きが入る。食堂はそんな長距離を走るドライバーがゆっくり寛げる様に椅子代わりにトランポリンを固くした様な作りになっていて寝そべる事ができる様になっている。

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 遺跡に到着していざ入場しようとすると、現地の高校生に呼び止められた。「一緒に写真に入って頂けませんか?」「握手お願いします!」何処へ行ってもこれでまるでアイドル気分だ。40代の親父が高校生を両脇に笑顔を作る。これが女子高生なら申し分無いのだが(汗)

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ハラッパー遺跡中心部)
 ハラッパーはモヘンジョダロと並びインダス文明を代表する遺跡だ。しかし鉄道を敷設する時、遺跡と思わず遺跡の煉瓦が大量に使われてしまったり、此処周辺は住民も住んでいるので、彼等の建築材料に流用されてしまったりしたので保存状態はモヘンジョダロに劣る。

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(排水溝跡)
 しかしながら所々に残された遺構には紀元前とは思えない排水路が張り巡らされ、下水施設が整った当時としては信じられない程先進的な計画都市であった事が窺える。また普通なら王宮等の支配者層の住居と被支配者層の住居が別れているものだが、そうした痕跡が無い事から非常に民主的な社会だったと想像されている。

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(倉庫跡)
 遺跡は前述の通りの保存状態の為か世界遺産には認定されていないが、逆に世界遺産に認定する事でこれ以上の遺産破壊を食い止める事が出来ないか?とも思う。近隣には住民も住んでおり敷地内に墓を建ててしまったりしているからだ。他にも情勢の悪化から観光客が減少し資金が枯渇している事。煉瓦の遺跡は土中に埋まっていれば自然の保護作用が働くが、発掘されこの様な太陽光線が強い場所で晒されると塩害により急速に劣化してしまい、定期的なメンテナンスが欠かせない。発掘した事で皮肉にも遺産を破壊してしまう結果になるかもしれないのだ。

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(遺跡は住民の生活範囲に被っている)
 そんな中政府も漸く最近は遺産保護に乗り出している様で、遺跡調査の方々とこれからの方針を窺う機会に恵まれた。こうした人々の地道な努力の上で私達が旅を楽しむ事が出来、更には新たなる発見に繋がるのだろう。

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 では何故これ程発達したインダス文明は滅びてしまったのだろう?洪水説、逆にインダス川の川の流れが変わった為交易や農耕が出来なくなり街が放棄された等の説が一般的だが、中にはとんでも説もある。

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(住宅地跡)
 さて前回話したインドとパキスタンの核戦争の恐怖が思わぬところで思わぬ憶測を生んでいると話した。実はインダス文明に絡む話なのである。長くなるのでその話は次回話したいと思う。