パキスタン旅行記5ラホール散歩編2

 街を歩いていると声をかけられたり写真をねだられるだけでは無く店の店主から声がかかりチャイを御馳走になる事も屡々だった。その店も別に旅人が興味を示す土産屋では無いほんの庶民の為の生活雑貨店、つまり営業のチャイでは全く無い。ただ何気ない話をして飲み終わると気持ち良く見送ってくれる。(注)

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 そんな中で飲み物を御馳走してくれた店主で日本語が流暢な人がいた。彼は長く日本で出稼ぎをしていたらしい。その時日本の上司にまるで家族の様に親切にして貰い、その時の恩を忘れられずにいるらしい。彼は何度も「輝いていた時だった。」と繰り返した。

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 イスラームは施す事を徳とする民族、日本のオモテナシ文化がそんな彼等に共鳴したのだと思う。そんな彼等の体験が此処に伝わり、この親日なムード漂う街になっているのかもしれない。そしてその恩恵を今私が授かっている。しかしそんなパキスタンを今、日本の人々は知りもせず恐い国だと勘違いしている。恥ずかしい事だと思う。此処で受けた親切を頂くだけでなく、日本に帰り彼等に返して、繋げていかなければならないと心から思った。頂いたのは一杯のチャイだが、そこに入った想いは果てしない。

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(ワジルハーンモスク)
 再びぶらついているうちにもう一つの訪ねたかったモスク、ワジールハーン・モスクに偶然辿り着いた。どちらかと言うとペルシャの趣が強いモスクだ。礼拝の終わったモスクに聖性は無い。私は中庭に座り一服させて貰う。すると一人のイスラーム帽を被った子供が寄ってくる。可愛らしいのだけど、其処がインドだと大抵最後にややこしい事になる。だけど此処はやっぱりパキスタン、子供と暫しガイドブックを一緒に眺めながら、やがて子供は私の手を両手に包むと「ありがとう!」と言って去っていった。

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(ワジルハーンモスクのミナレットから)
 少しのお布施をしてモスクの ミナレットに上がらせて頂きラホールの旧市街を眺める。喧騒の街を見下ろしながら、少し小腹が空いてきたなと軽食を取れる場所を探す。眼下にある賑やかな道が三叉路になる場所に屋台が犇めく一角があった。良し決まった!私はミナレットの螺旋階段を降りると直ちにそこへと向かった。

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(ワジルハーンモスクのミナレットから)
 私が興味を示したのは大皿にカレーをグツグツ煮込んでる屋台、その脇ではパラタと呼ばれる揚げナンが次々と揚げられている。それを高い場所に胡座をかいた屋台の大将が取り仕切っている。口数の少ない痩せぎすで少々おっかなそうな人。

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 私は恐る恐る「ハウマッチ?」と訪ねるも返答が無い。周囲では次々と客が入れ替わり大将が無言で捌いていく。私はガイドブックを取り出すとウルドゥ語で「幾らですか?」と尋ねてみる。しかし無言、仕方なくポケットからルピーを取りだし大将に適正価格を受け取って貰おうとした。すると初めて返答があったが、何だか怒った様な口調。やり取りを見ていた隣の客が思わず助け船を入れてくれる。

「大将は人混みでお金なんて出さずにちゃんとポケットにしまっておけ!って言ってるよ!」

 ごもっともな気遣いを頂き、支払いの心配よりカレーを御馳走になる事にした。「美味い!」思わず夢中になってパラタをカレーに浸して食べた。食べた。「御馳走様!」上機嫌な顔で再びポケットに手を突っ込もうとする私に大将は表情を変える事無く大きく顔を振った。

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そう言う事だったのか・・・
 
 私は深々と頭を下げて店を後にした。私にとってはそのカレーはたいした事無い出費だった。だがこの街の物価で暮らす大将にはそうでは無い金額に違いない。それなのに・・・

パキスタンの人って・・・

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 私は涙腺が崩壊しそうになりながらラホールの旧市街を彷徨い続けた。

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注)見知らぬ人から飲み物を頂く。実はこれは本当は国が国なら恐い事。インドやヨーロッパでは睡眠薬強盗が横行してるから。見知らぬ他人に勧められた飲み物には決して手をつけないのが鉄則だ。
 
事例1)東欧の夜行列車のコンパートメント(鍵の無い個室)の出来事。私が一人で乗っていると突然数人の不良が乗り込んできた。彼等は多分無人だと思ったのだろう。チッっと舌打ちしながらも、彼等が連れ込んだ全く意識の飛んだ人物の財布を漁りだした。何をしているかすぐ解ったが、私は石になっているしか術は無かった。彼等は事が終わるとすぐ次の駅で下車していった。

事例2)インドでの事、仲良くなったインド人にお茶を勧められた。反射的に私は辞退した。すると彼は言った。

「流石だね!此処インドじゃ人に飲み物を勧められても決して飲んじゃいけないよ!睡眠薬が入っているかも知れないからね!」

 その後も彼と仲良く話して別れたが、彼は種明かしはしてくれなかった。親切で私に忠告したのか?それとも睡眠薬強盗を企んでいたのか?