パキスタン旅行記4ラホール散歩編1

 ムガル帝国の歴史が詰まったラホールの街だけど、歴史遺産ばっかり追っかけるだけでは私の旅は完成しない。もう一つの旅の面白さ、旅の醍醐味はその街の旧市街を彷徨う事!その両輪が揃って私の旅になる。今回はガイドさんに随行して頂いての旅ではあるが、私のこだわりから丸一日追加して、ラホールの街を一人で自由散策させて貰った。いざ城壁に囲まれた旧市街の城門を潜る。

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 とどっこいのっけから道を間違えてしまった様で小規模のバスターミナルに紛れ込んでしまった様だ。パキスタンのバスはトラック同様ド派手なデコレーションが施されている。世界に類の無いきらびやかなバスを思わずカメラに納めていると突然フレームにジャーンと厳つい顔したオッサンが飛び込んで来た。

「俺の車勝手に写してんじゃねぇ!」

 って言われたのだろうか?ウルドゥ語が解らずカメラをしまおうとすると、余計表情が強張り私はビビってしまおうとしたカメラを元に戻す。オッサンは指で自分の顔を指す。え?なぁんだオッサンも撮って欲しいの?撮ってあげると満面の笑みで写真の出来を見て去っていく。

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 此処はお隣インドも共通してるが南アジアの人々(男性限定)は写真に写るのが大好きだ。時に建築物を人抜きで撮りたい時も勝手にフレーム内に入ってきてしまい困る事も。でも市街を散策しているとオッカナビックリの時もあるから声をかけられると心が和む。街の風景を撮っていると彼方此方から「俺らも撮ってくれよ!」と声がかかる。

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 声がかかるだけでは無い、「何処から来たの?」と尋ねられ「日本」と答えると若い集団は決まって「一緒に撮らせてくれ!」ってスマホを各々回し合って撮影大会。一グループ終わるとそれを見ていた別のグループがって感じで先に進めない。でも見所を回る為では無く彷徨する為の一日だから時間なんて気にしない。

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 でも訪ねてみたい場所はある。でも迷路状のイスラームの街は歩き出したら最後地図は最早役に立たない。自分の現在地が解らない。そこら辺のオッサンに聞いてみるが解らない。ガイドブックを広げて苦戦していると人が集ってくる。そんな中の一人の兄ちゃんが閃いたらしく私をエスコートしてくれる。

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(ゴールデンモスク)
 そんな兄ちゃんに先導されてゴールデン・モスクに辿り着いた。バドシャヒー・モスクとは打って変わって小規模の市民のモスクだ。たどり着くと兄ちゃんはさりげない笑顔で去って行く。此がお隣のインドだとやれバクシーシだ!やれチップだ!と大変な事になる。

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 お隣の国、元は一緒だった国なのにどうして此処まで違うのだろう?明確な違いはインドがヒンズー教であるのに対しパキスタンイスラームである事、ヒンズー教カースト制度があり身分差別を前提としているが、イスラームは人類平等を問いている事が大きな違いだ。

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 それは街の物乞いを見ると一目瞭然だ。インドではカーストが低いと人として見られない。だから物乞いは必死になって旅人にすがりつく。断っても断ってもまとわりついてくる物乞いに精神的に疲れてしまいインドを嫌いになる旅人も多い。しかし喜捨の精神があるイスラームは街の人も物乞いを助けてあげるので彼等もそれほど逼迫していない。此方が軽く断ると呆気ない程に去って行く。

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 インドは昨今の経済発展で金持ちになった。が、それはカーストの高い層に限った事で超絶的な格差社会だ。パキスタンはインドに対して相対的に貧しいと言えるが、宗教的に平等を目指しているので何処と無く日本の総中流意識に似て街全体の貧富の差を其ほど感じない。

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(驢馬は庶民の大切な足)
 格差社会に生きる下層の人々は何処か卑屈で、其処に蔓延る余りにも理不尽な差別に見ている此方もチリチリと胸が焼ける様な想いになった。比べてパキスタンの人々は少なくとも宗教上では平等な世界に住んでいるから心にゆとりがある。だから旅人として街を歩いた時、歴然と快適さはパキスタンが勝る。分離独立して1世紀も経たず、宗教の違いでこれだけ違ってしまう事に驚いた。

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(各種カレー屋さん)
 また、日本ではパキスタンと言えばテロ等の報道ばかり目立ってしまうので、インドと比較して恐ろしい国と一般人には思われているが(かく言う私さえ訪れる前はそう感じていた。)、実際両国を訪れた旅人の旅行記を読めば異口同音パキスタンの方が安全、快適に旅が出きると答えている。実際訪れて私もそれを強く実感した。我々が如何にメディアと言うものに洗脳させられているかと言う事、イメージの姿と実際の姿がこれ程違う事にも驚愕した



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 では何故イスラームの国々はそんなに旅がしやすいのか?イスラームは砂漠の大地で生まれた宗教だ。砂漠には得るものが少ない。交易こそ彼等の生き延びる手段だった。彼等は旅の隊商達を持て成し、隊商達の評判を上げる事で自分達の街の繁栄を勝ち取って来た。その習慣が今に残る故彼等は旅人を持て成す。またメッカを目指す巡礼もまた旅だ。だから彼等は旅人に優しい。旅人には施せ、これはコーランにも書かれている。イスラームを旅のテーマにして10年、私は彼等の優しさに包まれて旅を続けている。

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注)こう比較して書いてしまうと私がインドを嫌っている様に思われてしまうと思うが、私にとってのインド感とは、頭に来させられるけど憎めない、厄介事は多いけど旅人として腕が鳴る、そして私に旅の面白さを教えてくれた国、永遠のバックパッカーの聖地でもある。