ムガル帝国栄枯盛衰1

 さてムガル帝国の歴史を追ってみよう。ではムガル帝国のムガルとはいったい何だろう?その意味はなんとモンゴルなのである。と言う事で場所はインドから遠く離れたモンゴル、時代は遥か遡って13世紀の話をしよう。大陸は繋がっている。時代も繋がっているのだから・・・

 13世紀にユーラシア大陸を震撼させた大事件。それはジンギス・ハーンによるモンゴル騎馬軍団のユーラシア大陸侵攻に尽きるだろう。その猛威は海を渡って日本にも及び、二度に渡る元寇は歴史の時間に皆様も学んだ筈だ。

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モンゴル帝国の最大版図;引用)
 ユーラシア大陸に深い傷跡を残したモンゴル帝国だったが、ジンギス・ハーンが亡くなると、その領土はたった一人で統括するには余りにも広大だった為、息子を始め側近達が地域毎にハーン国を作り分割統治する事になった。分割統治されるとそれぞれのハーン国は現地に急速に溶け込んだ国家運営をする事になる。例えば中国の部分を統治したフビライ・ハーンが統治する元は急速に中国化し、中央アジアに列挙したハーン国はそれまでのイスラーム文化の国々へ変貌していった。

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(分割統治後のモンゴル帝国;引用)
 そんな中央アジアのハーンの中で頭角を表したのがティムールだった。彼は統一モンゴル帝国の再興を掲げてユーラシア帝国を東に西に駆け抜けて、再びユーラシア大陸を震撼させる。東は中国の明、西はヨーロッパのハンガリーまで攻め込み現在のウズベキスタンサマルカンドを首都に広大なティムール帝国を築き上げた。

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ティムール帝国版図;引用)
 ウズベキスタンにはこんな言葉が残っている。

ジンギス・ハーンが全てを破壊し、ティムールが全てを作った。」

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レギスタン広場;サマルカンドウズベキスタン
 放牧民族だったジンギス・ハーンユーラシア大陸全土を駆け抜け破壊と殺戮を続けながら多くの領土をもぎ取ったが、モンゴル帝国の当時の遺構は殆ど今に残すものは無い。しかしティムールが建造した多くの建造物が今もサマルカンドに残されている。

 おいおい!いつになったらインドのムガル帝国が出てくるんだ?と思ってしまうかもしれないけど、それは次回に語りたいと思います。